火力に魅了され中華の道へ
はじめに、大久佐さんのこれまでのキャリアを教えてください。
中学卒業後、地元徳島で、調理師の資格が取得できる高校に進学しました。そこでは、調理実習などを通して調理に関するスキルを身につけ、飲食業界の就職を目指します。中学生のころから食べるのも料理をするのも好きだったので、高校で調理を学んで卒業後は料理の道に進もうと決めていました。
高校時代から中華の道に行くと決めていたのですか?
いえ、特に中華にこだわりがあったわけではありませんでした。1年で和食、2年で中華、3年でフレンチを学び、その中でもっとも魅力を感じたのが中華でした。また、近所の中華料理屋で働いて、そこでいろんなことをやらせてもらっていたんですよね。中華ならではの火力、鍋を振るダイナミックな様子などに惹かれ、将来は中華をやろうと決めました。
高校卒業後はどこに就職したのでしょうか。
卒業後は徳島を離れ、奈良県の中華料理店「桃谷樓」に就職しました。中華の世界では、鍋を振るまでに3年かかるとも、5年かかるとも言われます。しかし桃谷樓では1年目から教育の一環として鍋を振らせてくれ、まかないなどを作りながらどんどん実践していきました。
20代半ばで副料理長になり、調理だけでなく、シフトの作成、オペレーション、店長不在時の責任者としての役割などさまざまな仕事を経験しました。30歳まで約12年を桃谷樓で過ごしました。
その後、牛肉の卸業を行う株式会社萬野屋に転職されています。なぜ、中華から違う業界へ行かれたのですか?
中華の世界を12年経験し、料理だけではない幅広い経験を積めたと感じていました。自らのキャリアを考えたとき、中華ではない世界を見てみたいと考えたのですが、ふと思い浮かんだのが「お肉」だったんですよね。
飲食店で働いていると、お肉はカットされた状態で店に届きます。でも、食材・材料になる前に、大きな塊を「捌く」という作業が発生しているはずです。最後の調理だけではなく、「食材」を使いやすく加工する工程も経験したいと考え、萬野に就職しました。
萬野には3年ほど在籍し、副店長まで担当しましたが、やはり好きだった中華に戻りたいと思うようになり、2度目の転職を決意しました。